3Dとの出会い

1984年~1988年の5年間

主人の転勤に伴い二人の子供(当時4歳と1歳)とともにミシガン州とカリフォルニア州に暮らすことになりました

その時出会った3Dピクチャーは帰国後の私の人生を変えるすばらしいアートでした

このページでは開高悦子の3Dピクチャーのルーツとともにアメリカで経験したエピソードなどを皆様にご紹介したいと思います

少しの間お付き合いくだされば幸いです・・・

3D ピクチャー カリフォルニア会
開高 悦子

カリフォルニア編(1)

1986年、カリフォルニアに移りサンフランシスコの郊外のサラトガという静かな住宅街に家を借りて生活が始まると、ミシガンとは180度の違いにこれが同じアメリカかしら?と思うほど驚くことばかりでした。
アメリカは同じ国内でありながら大国なので時差があり、州によって法律も違います。
ですから車の運転免許も取り直さなければなりません。
しかし日系人が多いこの州ではなんと日本語でも運転免許が取得できることに正直言って驚いてしまいました。
全てのことが合理的であり、田舎から都会にでてきた人間のようで戸惑うことばかりでしたが、日本人も多く活動的な日々が始まりました。
E..S.Lの仲間たちE..S.Lの仲間たち
シリコンバレーと呼ばれているこの地域は日本からのハイテク産業の企業からの駐在員が多く、ここでは日本人のすばらしい友人を作ることができました。
息子は月~金までを現地校に、土曜日だけは日本人補習校に通い、娘は幼稚園に入る年齢になっていたので彼女を午後1時までの幼稚園に入れることにしました。
午前中が自由になった私は車で30分のロスガトスという町の教会で行われているE.S.L(English as Second Languageの略で英語を2番目の母国語にするためのクラス)で英語の授業を受けることにしました。
E.S.Lには日本人の私の他イタリア人・フランス人・ドイツ人・イラン人・イラク人・中国人などの老若男女が集まりアメリカ人の先生から正しい発音や文法を習うのですが、皆お国なまりの発音になりとてもユニークなクラスでした。
時々、自慢のデモンストレーションをする事が宿題になることがあり、芸のない私は悩んだ末、包丁とまな板そして大根ときゅうりを持参して包丁裁きを披露する事にしました。
以前、Katyとお料理をした時、私の包丁裁きを“Wonderful!Etsuko You are great!”と絶賛されたことを思いだしたからです。
手早くきゅうりの小口切りと大根の千切りを見せてから、とどめはきゅうりと大根の桂むき(日本ではおさしみのつまに使われます)です。
この桂むきをした野菜を氷水に浸した後、皆に見せた時には拍手と口笛が飛び交い、日本人女性としてのプライドが保てたことに一人ほくそえんでしまいました。
誰かが“野菜のスパゲッティ-のようだ!”と形容したことがおかしくて大笑いしてデモンストレーションは大成功に終わりました。
こんなに楽しいE.S.L.の授業ですが誰でも無料で受講できる事に、再度アメリカの国力に脱帽したのです。
 (・・・続く) 

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