散歩道

日記りすと

更新日2016.01.06 Jan18:04

先祖のルーツを辿る旅

石碑に刻まれた名言
昨年の12月初旬に主人のお供で先祖のお墓参りの旅にでました。
自分たち一族のルーツを辿る旅に興味をもった息子夫婦と共に
一泊二日で越前海岸へ。
主人は定年後に小説家の開高 健と自分とが
どこで繋がっているかをかなり長い時間をかけて調べていて、
その努力は見ている私も感心する程でした。
あちこちから戸籍謄本を取り寄せ、家系図を作り、
その検証を兼ねての旅が、開高健の祖先の故郷でもある
石川県の丸岡町でした。
丸岡庁舎での職員さんに事情を話すと、
何と開高健の研究グループがあり(開高健文学顕彰会)、
その代表の方を紹介して頂き、その方のお宅訪問となりました。
まるでTVのロケを我ら4人で行っているような錯覚に陥りながら
顕彰会代表のKさん宅を訪ねました。
そして、主人とKさんが双方で調べた家系図を比較しながら
確認作業が続き、主人はやっと自分の生まれたルーツを知る事が
できました。
あの時の満足そうな主人の顔は脳裏に焼き付いています。
Kさんにとっても想像の域を越えない家系図に確証が持てて
我々の訪問を大歓迎して下さいました。
Kさんの計らいで350年前からある開高の祖先のお墓に
案内してもらい、先祖のお墓参りができました。
やっと辿り着いた先祖のお墓
丸岡町の外れにある先祖のお墓
開高健文学顕彰会では20年前に開高健が58歳の若さで亡くなった後、
寄付を募り石碑を立ててくれた上、開高亡き後は先祖のお墓の
管理まで引き受けてくれていた事に、
改めて感謝の念が湧いてきました。
一番上の画像の“悠々として急げ”の名言が彫られている石碑が
顕彰会の方達の善意で建てられたものでした。
この石碑は主人の先祖が住んでいた跡地に建っていました。
その日の晩は、開高健がこよなく愛した越前海岸のこばせ旅館に
向かいました。海岸線を夕陽に向かい車を走らせる事1時間。
海の真ん前にその旅館はありました。
美食家で有名だった開高健がこよなく愛したのが“開高丼”
<br />
海の宝石箱と表現された開高丼
我々も4人で分けて食べましたが、本当に美味しかったです。
越前蟹をお腹いっぱい食べた後に、この大きな丼が出てきたので
流石に全部は食べられなくて、翌朝温めてもらい完食しました〜
先祖のルーツを辿る旅の最後は大食漢の開高健がこよなく愛した
越前蟹の“開高丼”を食べて幕を閉じました。
今、私は主人の秘書として家系図作りと写真の整理を任されて
まとめる作業に取りかかったところです。
今年の初仕事は先祖の家系図作りからスタートです。(悦)

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